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日々の新しき出会い

気の向くままに・ぶらり京の街散策・・・

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京都、大覚寺・・(旧嵯峨御所大覚寺門跡) 

大覚寺・・(旧嵯峨御所大覚寺門跡)
真言宗大徳寺派の本山、門跡寺院とは、天皇又は皇族が住職に就かれた寺院の事です。嵯峨天皇の孫にあたる恒寂入道親王が初代の住職に就かれ南北朝時代には南朝の御所と成り、此処で争いの終止符を打つ媾和会議が開かれました。

大玄関(式台玄関)
江戸時代の初め御所より移築され大覚寺の玄関、大覚寺は平安時代の初めに嵯峨天皇が造営した離宮嵯峨院に起源し其の後貞観十八年(876)寺に改められ初代もんぜきに嵯峨天皇御孫恒寂法親王が就かれ日本で最も古い門跡寺院です
この式台玄関の障壁画は狩野永徳によって描かれた「松に山鳥図」です
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(マウスオンで2枚の画像を・・)
2枚目の画像・・輿(九曜菊紋入り)
後宇多法皇所用の紋・・後宇多法皇が乗られた輿とされていますが・・後に復元されたものとも考えられているそうです

震殿前庭には立派な御所車、其の後方に菊のご紋章が燦然と輝く「勅使門」が・・
御所車の後方に見えますのは「勅使門」です・・


震殿
江戸時代(延宝年間)に後水尾天皇より下賜された震殿造りの建物・・
前庭には古式正しく「左近の桜、右近の橘」が配され部屋の襖には、狩野山楽筆の「牡丹図」「紅白梅図」を始め桃山時代を代表する紺碧画が飾られています
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(マウスオンクリックで3枚の画像を・・)

正寝殿(重文)
此処は12の部屋があり、上段「御冠の間」は、十三世紀後半鎌倉時代後宇多法皇が上皇として院政を執られた御座所である。又ここは明徳3年(1392)室町時代の初め永年の南北朝争乱を始めるため、南北の後亀山天皇と北朝の後小松天皇による講和が成立したところ
「御冠の間」・・

御座所の障壁画は、狩野山楽の墨絵で「「四季花鳥の図」「野兎の図」は江戸中期元禄時代の渡辺始輿の作、幾度となく改築されましたが現在は桃山時代様式の書院造りの建物です
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(マウスオンクリックで3枚の画像を・・)

ふとお庭を見るとお坊さんたち一列に並び足早に奥庭の方へ~~
皆さん急ぎ足で~~

楽しみにして出掛けた「嵯峨菊」今年は、マダマダ満開には程遠く2分咲きと言う処でした。
大沢の池と嵯峨菊・・

月見台から望む「大沢の池」とまだ少し咲き揃わない「嵯峨菊」・・

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category: 名所、社寺仏閣

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